大切なのは自分が幸せであること。個人のハピネスを追求するフリートークイベント「HR」
あなたが何の気兼ねもなく、腹を割って話せる相手を一人、思い浮かべてみてください。あなたはその人と「最近もやっとした出来事」について意見を交わし合うことができるでしょうか。政治のこと、社会のこと、世界のこと。大切なことなのに話せていないこと、ありませんか。
①駒沢公園の奥、変わった本屋で開かれるフリートークイベント「HR」
駒沢公園駅で下車し、公園通りを20分ほど歩くと、ケーキ屋さんの裏のガレージに階段が見えます。階段の続く2階を見上げると窓枠を埋め尽くす本棚。階段を上ったところに、小さな黒板が立てかけられていました。黒板に書かれた文字、「SNOW SHOVELING(スノウショベリング)」。ギャラリーを兼ねた、ちょっと変わった本屋さんです。
入口から想像した以上にひらけた店内。ほとんどの書棚が壁沿いに並んでいて、書棚に背が隠れるということがないからでしょうか。けれど白熱灯の薄明かりに包まれているおかげで居づらさはありません。書棚に囲まれた空間の片隅に、車座に椅子が並んでいます。今日はここでフリートークイベント「HR(エイチアール:Home Room)」が開催されます。
参加者は全部で12名。通常回は倍ぐらいの人数が参加するイベントですが、今回は過密空間を避けるために少人数での開催です。開演の5分ほど前、私が席についた頃にはすでに会話も飛び交っていて、少しだけ緊張します。
「HR」は、年齢性別職業も様々な人たちが、一つのテーマについて自分の考えを発し、他者の考えに耳を傾けるイベント。このSNOW SHOVELINGの店主である中村秀一さんと、京都で「ME ME ME」というカフェを営む晴(はれる)航平さんが東京と京都を行き来しながら、互いの店を会場にして、これまでに20回以上開催しています。
二人はホストではあるものの、司会ではありません。彼らもメンバーの一員として、参加者と同じように車座の一角に座り、意見を発したり聞いたりします。
18時になり、アイスブレイクを兼ねた自己紹介からスタート。参加者がニックネームと職業、コロナ禍のエピソードを順々に話します。ルーツ、キャリア、世代もバックグラウンドも異なりますが、前のエピソードにかぶせる形で自己紹介をしたり、関心のあることには大きくうなずいたり、総じて人の話に興味がある「聞き上手な人たち」という印象です。
②「自分は」何を思い、何を選択するか。問いを通じ追求するハピネス
今日のテーマは「OUR LIVES MATTER 〜わたしたちの側にある差別〜」。世界規模の社会運動になっている「Black Lives Matter」をフックに、身の回りの差別について感じていることを話し合います。
参加者は事前にホストから投げかけられた5つの質問に回答することがルール。このQ&Aをベースに、トークは進行します。
最初の質問は「日常で『これって差別だよね』と思うことは?」。中高生たちが「ガイジン」と言って友人を茶化す光景や、タクシーで若い女性に突っかかってくる運転手、複数のルーツをもつ人に向けられる「ハーフだから」という偏見。さまざまな例が挙げられました。
いくつか意見を交わす中で、参加者の一人が疑問を呈しました。「そもそも、何をもって『差別』と言うのだろう」。差別と区別の違いはどこにあるのか、視覚情報で相手を判断することは悪なのか、怒りを表明し抗議をすれば世の中は変わるのか。視座が混同すると議論にならないのではないか、という懸念とともに発せられた問題提起でした。
正解の定義できない問いに、しばらく重い空気が漂いました。これまで「好きを仕事にすること」「人生に目標は必要ですか」など身近でライフスタイルに則したテーマの多かったHRですが、今回のテーマは非常にシリアスです。日本で暮らしていると、身近に感じる深刻な差別もそう多くはないでしょう。
特に、今回に関しては知識量や情報量が違う人同士が議論するには難しいテーマ。正しさはどうあれ、知識のある人や具体を話す人の発言が通ってしまいがちです。知識量の多い人に圧され、思うことがあっても口をつぐんでしまった経験は誰しもあるのではないでしょうか。
HRの目的は「個人のハピネス」にあります。Black Lives Matterを指差して「あれが良くない、こうするべきだ」と批判したり「これが差別だ」と定義したりするよりも、「我々も彼らと似たようなことをしていないだろうか」と気づき、未来の振る舞いをチューニングして個々の生活がハピネスに近づくことを目指しています。
濃度や場面の違いはあれど、思い当たる出来事を出し合って、参加者一人ひとりの「自分は何を思い、何を選択するか」を尊重する。それがHRのスタイルです。
印象的だったのは「レイシズムを無くす方法を簡潔に答えてください」という問いに対してホストの2人が挙げた回答です。
中村さんは「とにかくBe Happy」、晴さんは「歴史を受け継がず今を幸せに生きる」と回答。他者を知ること、関係性を築くことに目を向けるコメントが多く集まる中、お二人とも「自分の現状が幸せで満たされていれば他者を気にしたり攻撃したりする必要がなくなるのではないか」と話し、このイベントにも通じる根源的なポリシーを感じました。
③「踏み込んだ話が日常的にできる場所をもっと増やしたい」
私たちはそれぞれに親しい人や大切な人がいて、日々いろいろな対話をしています。けれど一方で、こうした社会における「もやっとした」思いに関しては、表出させないことを美徳とし、腹の底に沈殿させることを常としてきてしまったように思います。
HRに参加し、日頃言えなかった「もやっとしたこと」を言葉として誰かに聞かせることは、参加者にとって刺激的な、そして爽快な体験だったのではないでしょうか。自分の考えを掘り返し、また誰かの考えを聞くことで新たな考えを取り込む。長丁場を終えた参加者の瞳には、ひと山越えたような清々しい達成感が映っていました。そうか、みんな誰かとこんな話をしたかったんだ。
「今回のHRに参加して、この場が有意義だと思ったら、外でもこういった話をぜひしてみてください」。イベントの結びとして、中村さんはそう話しました。「外では話せない」と蓋をしていることをしっかり向き合って話すと、一歩前に進める。私たちは今まさにそんな体験をしたばかりで、この言葉を実感をもって受け止めました。
また晴さんは「こんな踏み込んだ話が日常的にできる場を作りたいと考えている」と打ち明けました。「イベントではなく、通常営業をしている一角でこんな腹を割った対話ができる空間があったらいいよね」(晴さん)。ふつうのお店でこんなにがっつり話し込んでいる一団がいたらさすがに怪しいんじゃないの?という参加者の声に「そうなんだよ。どうすれば怪しくなくなるか考えてるんだよね」と晴さんは言い、会場は笑いに包まれました。
イベントが幕を下ろしたのは21時半。2時間のイベントを予定していたはずが、気づけば3時間半が経過していました。終演後も参加者たちの会話は終わる気配を見せず、中村さんが半ば強制的に会場をクローズした頃には夜もすっかり更けていました。
今後も、状況に応じて参加者数や衛生環境を工夫しながら、2か月ぐらいのスパンで定期的に開催する予定とのこと。最新情報はSNOW SHOVELINGとMEMEMEのInstagram(@snow_shoveling / @mememecoffeehouse)でご確認ください。
◉HR(エイチ・アール)とは?
日曜日の夜に、"大人"と呼ばれるカテゴリに所属している人々が、毎回1つのテーマに沿って討論し合うという、小さくても確かな集まりです。年齢も職業も関係なく、本来ならCAFEやBARなどで、誰かがふと発した一言から盛り上がるべき話題を、あえてわざわざ集まって、気恥ずかしさも楽しむぐらいが大人ってもんですよ的にやりましょう。自分のための、そして自分の世界のための塾みたい場所。Home Roomの頭文字をとってHRです。
コンセプトは「勝者なし、結論なし」。
キャンプの夜に、修学旅行の部屋で、旅人の集まるカフェで、大マジメに語ったあの日のように、今日だって明日だって明後日だって、真剣に我々の世界について話せる場所があってもいいじゃないか。1000の「いいね」よりも1の挙手、2の拍手、3の握手ですよ。
さて、世界はどこへ向かうのか。貴方はどこへ向かっているのか。双方の関係性を我々はどう説明できるのか。わたしたちは世界を変えられないかもしれないけど、少なくとも自分の半径何メートルかの世界は変えられるかもしれなくて、その先の何メートルは隣りの誰かに希望と共に委ねてもいいのではないか。そうやって世界は連鎖していったらいんじゃないかしら。
それがエイチアールの存在理由です。皆さん、どうぞお集まり下さい。
ライター:吉澤瑠美